2020.11.20
今日はお酒を飲みたい気分だったのです。
お酒を飲んだら、今日私は壊れることを知っていました。
家族がいる間は飲むことができません。
だからよっぽど、一人暮らしの家に行こうかとも考えました。今日は元気で、やるべきこともスムーズにできて、昨日メンタルコントロールもできて。
それなのになぜか壊れたかったのです。
近頃良くなっていくのを自分で阻害しているような気がします。まだ病んでいたいのでしょうか、まだ病んでいるのでしょうか。
感情のコントロールが効かないまま、理性のままに泣いて崩れてボロボロになってしまいたいと思うのです。そのくせ、きっとそうなったら誰かに助けを求めるのでしょうね。死ぬ覚悟は固まってはいないのです。
全く自分でもおかしいと思います。
復職がしたいならそろそろ頑張って朝に起きようと努力できる頃合いだと思うんです。なにかを拒否しているような気がします。おかしいんです。でも誰もこの私のジレンマのような異変には気がづきません。私にとって大きく感じるそれは他者にとっては、精神疾患で治療中だしそんなときもあるだろう、あるいはほんの些細なことだと思います。私の中で大きな変化は、当然でまたごく小さな変化なのです。自分でそこを拡大し大きくとらえすぎているのです。
でもそれが精神の病なのではないでしょうか。
それこそが精神を苦しめるのではないでしょうか。
今の状態の私は、隙あらば自分を破滅へ導く行動に出るでしょう。
壊れてしまえば、その一瞬楽になれるような気がしているのです。当然楽になんてなれず苦しいのは当たり前、後日寝込むこともわかっています。
それでも自分を壊したくなるこの衝動はなんなのでしょうか。基本私は感情や思考の整理を意識して生きてしました。悲しい、怒り、妬みなど何に対し、なぜそれが沸き起こり自分を乱すのか、理由を事実と結び付けて自分を納得させることで感情や思考を自分なりに整理してきました。
しかし今回はわかりません。
ただ、もう壊れてめちゃくちゃになって片手で軽く握りつぶされるように終わらせたいのです。死にたいのでしょうか、消えたいのでしょうか。
自分でも整理のつかない感情、不快な副作用、不透明な未来に絶望しながら希望を捨てきれない、だから焦りすぎる、そのくせ行動にできないといった矛盾、矛盾を抱える自分を終わらせたいのでしょうか。書いていてそんな気がしてきました。
あとどのくらいの苦痛を乗り越えたら私は
私はどこを目指しているのでしょうか
わからなくなってきました
働くこと?投薬治療の終わり?自由?
なにを目指してなにを得られたら私は楽になりますか。
人生を終わらせることでしか得られないような漠然として曖昧なそれは苦痛それ以外の何物でもないような気がします。
ホルモンバランスが崩れる薬ですからこう、月経前症候群(PMS)のようなものですかね、そのうち過ぎ去るでしょうか。
シャンデリアから首を吊りたいって本当綺麗な歌詞だと感じました。
(Sia chandelier)
山奥にある木々に囲まれる精神療養所で、早朝誰もまだ目が覚めていないとき、1本のロープをもってできる限り遠くへ行って首を吊る、その早朝の木々の足元がひんやりとして地面の草の朝露で靴が濡れる感覚、想像するだけで綺麗で、肺いっぱいにその空気を取り込みたくなります。
何もせずベッドで過ごすこと、生命維持活動をしないことは緩やかな自殺であるということ。
(江國香織 ウエハースの椅子)
どうしてだか以前から自殺を一つの題とするような小説に惹かれます。あるいは破滅的な。叩いていて確認済の石橋を渡っていて景色の良い当たりで足を止めると崩れ落ちていくような、そういう小説を好みます。趣味が悪いです。でもそれが人生の真理のような気がするんです。
まったく奇妙なことを考えますねわたしは。